YUKIのプロフィール
|大人の青春を叶えるコーチ
あなたの青春時代のしょっぱい経験を活かして
一生青春するためのマインドを伝えるコーチングをしてます
改めて青春時代と向き合い、今と未来を輝かせましょう!
前職は金融アナリストとしてバリキャリOLをしておりましたが
300万円ほどの自己投資の末、コーチとして起業を果たしました
高校卒業後、青春時代(?)のうち7年間をオーストラリアで過ごしておりました
パースの西オーストラリア大学で1年3か月間Foundation Programと呼ばれるコースを受講後
シドニー工科大学(University of Technology, Sydney)にてインテリア空間デザインを猛勉強
大学卒業後はシドニーのオペラハウスの目と鼻の先にあるカフェ・ワインバーに2年間ほど勤め
唯一のアジア人ウェイター兼バーテンダーとしてちょっとだけ話題になったことも…(笑)
世界一周船の停泊所のすぐ目の前にあるカフェ/ワインバーだったので
世界各国から観光に来られる国際色豊かなお客様を接客できる貴重な経験をしたと思っております!
オーストラリア最後の1年間は、農業をして過ごしました
広い大地でさんさんとした太陽の下農業に従事できたのは思っていた以上に楽しかった!
ちなみに農作物は、イチゴとサンダルウッドを経験しております
当時は大きすぎるゴ●ブリと毎日遭遇しすぎて
素手で掴んで投げるくらいまでできるようになってました…(今はもう無理!笑)
2017年4月、父の入院がきっかけで帰国
日本で就職することを決意。
当時自信満々だった私は名高い有名企業ばかりを片っ端から受けて
片っ端から落とされました(合計23社程)笑
諦めモードで24社目に某有名歯科医秘書に応募して受かり
パワハラにより3日で辞めました(笑)
25社目に派遣会社を受けて、月収17万円でスタート
(シドニーのカフェ・ワインバー時代は結構な金額をいただいていたため
当時はショックでなかなか立ち直れず…笑)
「置かれた場所で咲きなさい」というお言葉に励まされながら
なんとか花を咲かせたい!と必死に働きましたが・・・
やはり立場は派遣社員。
自由がきくとはいえど、やっていることは雑務がほとんどです
「雑務がしたくてオーストラリアで勉強してきたんだっけ…?」
「もっと効率的なやり方ができるのに派遣の立場じゃ何も言えないし…」
色々な悩みがあり、迷走ばかりの1年半を過ごしました
そして自由なコミュニケーションをとれない立場になって初めて、
自分は自由に動きたいんだ!ということに気が付きました
状況をなんとか変えたい
でも状況変えるには自分が変わる必要がある気がすると、ぼんやり考えました
そんな思いで1日1セミナーを受講する生活を始めて半年
コーチングの世界に出会いました
コーチングを受けたことがきっかけで人生180度変わるとは
そのときのわたしは思ってもいませんでした。
|YUKIが学んできたこと
- 人から好かれる話し方
- コミュニケーション全般
- 苦手な人との接し方
- 男性脳と女性脳
- NLP(脳科学)
- アートセラピー
- カラーセラピー
- 四柱推命
- 心理カウンセリング
- アドラー心理学
- 潜在意識
- フロイト心理学
色々学び、相当な数の本も読んできました
・・・が、なぜか変われず、同じ失敗を何度も何度も繰り返しました
当時会社の雑務をしていたわたしは、書類の整理をしているとき上司のコーチング費用の請求書を見つけました
そのときが初めてコーチングという言葉を耳にした瞬間です
(その時は何の請求書なのか全く知らなかったです!笑)
まさかその後の人生で自分がコーチングに興味を持ち、コーチングを受け、
ついには自分がコーチとして起業するとは!
当時の私は思いもしなかったです。
出会い一つで変わってしまう人生って面白いですね…!
|趣味・好きなこと
💗広島東洋カープ
ファンが過ぎて広島に移住しました🥰
今では広島の街自体がとても好きです
💗一人旅
オーストラリア時代も一人で国内をフラフラして
原住民アボリジニと隣人だったこともありました
(詳細はいずれブログに書きますね)
💗食べること
小さい頃は一人おままごとが大好きで
物心がついた頃気づいたら料理が趣味になっていました
外食も好きでおいしいお店探しが趣味になっています
💗お散歩
風の吹くまま気の向くままに歩くことが好きで
特に知らない土地だと無心でいつまでも歩いています
|略歴
<栃木県宇都宮市で生まれる>
幸せに世の中を渡っていけますように、と願いを込めて幸世と名付けられる
<ただただ楽しい小学生時代>
休み時間には友達引き連れて走り回っているような元気ガール
自分が中心に世界が回ってると思っていた時代
<結構しんどい中学生時代>
初めて人から嫌われる辛さを味わったちょっと苦い時代
毎朝とにかく学校に行きたくなくて、何かと理由をつけて休んでいた
<絶賛人生迷子の高校生時代>
「絶対高校デビューしてやる!」と強く思い
当時1番イケてると思ったサ〇ゼリヤで初めてのアルバイト
髪色を変えてエクステ装着、化粧ばっちり、ピアス7個解禁、スカートは短く・・・
だけど勉強だけはきちんとやっていて、先生と仲良しで、悪になり切れない良い子でした(笑)
<英語に目覚めたインター時代>
ぼんやり生きていた自分の人生最初の分岐点
海外留学を決めて毎日(それまでの人生で一番)死ぬほど勉強した1年間
毎日朝4時起き、24時過ぎ就寝で本当に倒れるかと思いました(笑)
倒れずに頑張れたのは、同じ目標を目指す仲間がいたからだと思います!
その時の仲間と、海外行きを許してくれた両親には心から感謝してます。
<色々ハードなオーストラリアでの生活>
最初の1年間はパースにて温かいご家族の元でホームステイ
イタリア、フランス、コロンビア、ベトナム、中国、韓国、台湾、タイ、インド、ポーランド、スイス、スウェーデン、ラオス、スペイン、チリ・・・オーストラリアはとてもインターナショナルな環境で、学生生活では世界各国のお友達がたくさんできました!
2~3年目はシドニー工科大学の大学寮で一人暮らし
4~5年目はサウジアラビア人達と怒涛のシェアハウス生活
6年目は日本人兄妹と穏やかなシェアハウス生活
7年目はユニークな原住民アボリジニと隣人・・・
オーストラリアでの7年間は色々あったので、時々ブログの記事にしていこうと思っています!
<帰国後の就職~独立>
就職がなかなか決まらず結局派遣業に就いたが
「そこでなんとか花を咲かせたい!」との一心でひたすら必死に働く
ついにただの雑務から、大手自動車会社のマーケティング部署にて金融アナリストとして働くことになる
部署の半分以上が外国人という、一番理想としていたインターナショナルな環境
雑務係から理想の環境と仕事・生活が手に入りはじめたのはコーチングを学び始めてからでした
トップ企業の金融アナリストになって3年、満足な生活が手に入ったとき
私が目指したいのはプロの金融アナリストではなくなっていました。
『プロコーチとして、昔の私のように能力を発揮できずに悩んでいる人たちを幸せに導きたい』
そんな使命感から独立することを決意し、今に至ります。